いやまだわたし学生だからね

これは自省の話です。


大学4回、理系。研究室に配属され、研究し、それを纏めた論文を書き、受理されて初めて卒業が認められる。おそらく同じ境遇の人は大体そうだろう。

特に、私は大腸菌やウイルスなどを扱っているため、実生活の中心に大腸菌がいるということを頭の隅に留めて貰いたい。生活のリズムが彼らにやって支配されている、というイメージだ。彼らはとてもセンシティブで、予想外に時間がかかることも、想定より早く終わることだってある。そういう勉強をしている。その上、私は家から2時間かけて大学に通っている。往復すると4時間だ。



本題に入っていく。

今、私は内定先でアルバイトをさせてもらっている。働き始めてからようやく1ヶ月ほどが過ぎた頃だ。少しずつ仕事を覚えられ、来年の4月に少しでも楽ができるよう頑張っている。シフトは月一で決まる。大体の休み希望は出せるが、自分の専門分野の都合上、綿密な予定を立てることには向かない。

 先述したが、私は出来ることならば楽をしたいと思う。だからこうしてアルバイトをしているわけだが、それはシフト面でもそうだ。常日頃から実生活の話題になれば、やれ通学が大変だ、実験が大変だ、とそれとなく伝えている。実際朝は早く起きるため、平日にやるバイトが入ると睡眠時間が確保できないのだ。(帰ると深夜0時を回るので)

当時、現在進行系でシフトを組む作業を行なっている社員との会話でも、それを伝えたはずだった。



彼女は、私が出したおおまかな休み希望を除いたほぼ毎日を、シフトで埋めてきた。


いやおま、たいへんってゆーたやん…

以外の感情が無かった。


何がどうしてそうなったのかはわからないが、おそらく私の努力不足なのだろう。

更に懸念していることがある。脱獄犯が捕まってないために、母が迎えに来てくれることだ。徒歩で。毎回。風呂入った後に。

めちゃくちゃ申し訳ない気持ちでいっぱいだ。お母さんありがとう。


シフトを組むために他の方々との調整や、大変な思いをして作業していたことは知っている。会話で聞き及んでいるし、見てもいた。

だけれども、往復4時間の通学と、実験と、それからバイトをした後の4時間睡眠をほぼ毎日続けなくてはならないなど、おそらく耐えられないだろう。それだけ母を迎えに来させなければならないことにもなる。つか普通に住みの治安悪すぎて脱獄犯がいてもいなくても迎えに来てくれる。


母曰く、

「社会人になって独立したら好きな時間に帰ろうが構わないけどね、まだ学生で手の内にある時に何かあったら、本当に悔しい思いをすると思っからゼッテー迎えに行くのやめねぇかんな」

なるほど、私に子がいたとしても同じことをするかもしれない。


だから、大変申し訳ない──胃の内容物をぶち撒けそうなほどの辛酸な思いを抱いて、シフトの変更を申請した。


ら、今までのは一体なんだったのかというほど、むしろもうちょっとくらいは入れるよ、くらいに減った。いや、嬉しいけれども。


全か無かしかねぇのか?ムカつくな…

という気持ちと、ようやく終えた業務を増やしてしまった罪悪感と、実生活が守られた嬉しさと、いや学生に何派遣の方とかフリーターの人とか社員と同じくらい働かせようとしてんだよ忙しいっつってんだろ当然だ!という気持ちが綯い交ぜになった。心の整理がつかないとはこういった感覚なのかと腑に落ちる部分と、全くもって腑に落ちない部分とで更に、だ。


付け加えるなら、このシフトを組んでくれた方は、なんとなく以前から“私のことを嫌いだろうな”という雰囲気を出してくる。

私も彼女も、取り敢えず表面上は取り繕える、すなわち嫌いな奴とも仲良く出来るタイプだと思う。だから何となくの居心地の悪さを残しつつ、普通に仲良く話せるというクッソ気持ち悪いワールドが展開されてしまう。私はそれが本当に気持ち悪くて苦手だ。仲良くなりたいと思っているけれども、嫌いオーラを出されてしまっているためになんとも悶々とした気持ちになってしまう。

その彼女にシフトの変更を依頼することは先ず本当に苦痛だった。いやほんと頑張った。


今日、シフト変更の旨を謝罪し、礼を述べようとバイトに向かった。が、月末で忙しくタイミングを失い、退勤時間を迎えて先に帰られてしまった。仕方なく、また次のバイトの時に伝えようと思い、退勤処理をした。すると、店長が話しかけて来た。

「最近忙しくなったの?」

「はい、すみません (以下実験が本格化した事などを伝える)」

店長は一通り話を聞いたあと、出来るだけ早く伝える事、それからなぜ今日お礼と謝罪をしなかったのか、という指摘をした。

どんなに忙しく、タイミングがなくとも、ちゃんと今日伝えておけばよかったと後悔していたために、成る程やっぱりそうだなと改めて悔いた。

それから、店長は店の責任者だ。シフトの件が耳に入っているのは当然のことで、だから私はタラタラと言い訳を話す必要など無かったはずだ。いや、世間話から入られたので話すような雰囲気ではあったのだけれども、最初の言葉の時点で「申し訳ありませんでした。シフトの件ですよね、以降気を付けます。」とだけ伝えさえすればよかった。

 理由は大して必要なく、ただただ時間を食うだけだし、彼女らにとってそれは大して興味のないものだ。せっかく作ったシフトを改めることになった。それに対する自省と今後そのようなことのないようにするという意思表明のみでいい。それ以外は求めていない。

そのことに、その時(と言っても数分前ではあるが)気づいていればよかった。忸怩たる思いだ。以降、気をつけようと思う。

何か問題が起こったら、ちゃんと上司に伝えること。それまでなんとなく出来ていると思ったことが出来てなかった。ちょっとしたことでも今までは上に伝えていたのに、今回は煩瑣に思ってそうしなかった。怠慢であり、甘えていたのだ。

来年からは社会人になる。同じことを繰り返さぬよう、気を引き締めたい。



あとぶっちゃけシフト作った子が同い年で、専門出てすぐの就職だったから多分四年制大学の理系の大変さとか知らなかったのかもしれない。私はその辺りのことを話したし、彼女も聞いてはいたけれども、それが実際どうであるのかまでは想像できていなかったのだろう。全く体験していないものを想像し、察するのは難しい。


私は、大変だからちょっとあんま入れないかもみたいな、所謂日本人特有の「察してくれ」を使っていた。言葉にしなきゃ伝わんないよ、と最近ツイッターでよく見かける。自分自身が若いので、若い人たちの主張に賛同していた。


でも実際はどうだ。若者に疎まれている人々と同じじゃないか。むべなるかな、ちゃんと伝えなければ、伝わらないのだ。

己がいつ、所謂、老害と呼ばれるものになっているのか。気づけるきっかけが無ければ、一生そのままだろう。

今回は、気付けて良かったと思う。




なんて、まるで向上心の塊で、自省をし、成長を望むフェイスブックをやっている人間(偏見)のようなことを言ってみる。


実際は既に働きたくないし、普通に疲れた。まず、嫌いオーラを出すのをやめろ。

すまんかったがお前も人の話を聞け、まだ社員じゃねぇし…いやほんと訂正前のシフトの惨憺たるや。減って良かったと言う気持ちが、今こうして書き連ね、少し整理された心の中の多くを占める。


つまらない話を聞いてくれてありがとう。